錯覚卿 第1話|一体いつから、勝てると錯覚していた?

錯覚卿

── 今日の揺れ ──

勝てる根拠は、いつも「負けない気がする」って顔で近づいてくる。


寄り付き前。
チャートは静かで、世界はまだ起きていないみたいだった。

画面の中で、一本の移動平均が背骨みたいに伸びている。
価格はその上に乗っていて、出来高も悪くない。
“形”は整っていた。

この形ならいける。
いや、いける気がする。
いや、いけるはずだ。

その三段活用が頭の中で出来た瞬間、指が自然にエントリーへ向かう。
勝てると信じたいとき、人はルールを思い出すより先に、物語を作る。

「今回は違う」
「今度こそ」
「ここからだ」

言葉が増える。
言葉が増えるほど、判断は薄くなる。

エントリー。

最初の数分は悪くない。
上に跳ねる。小さく押す。上に跳ねる。
ああ、やっぱり。今日は俺の日だ。

その時、背後の空気が変わった。

振り返っても誰もいない。
怖さもない。威圧もない。
ただ、余白に“いる”だけの気配。

「錯覚卿」

錯覚卿は、音を立てずにそこに立っていた。

目線だけが、こちらの画面を見ている。
そして、ゆっくり言った。

「一体いつから、勝てると錯覚していた?」

心臓が一拍、遅れる。
その一言は、刺すというより、支えを抜く。

勝てると錯覚していた。
それは、いつからだ?

思い返す。
直近の一勝。
たまたま噛み合った一回。
SNSで見た“この形は鉄板”という言葉。
過去チャートの美しい右肩上がり。
自分の中でこっそり育てた“俺は分かってきた”という自尊心。

全部が、同じ方向を向いて背中を押していた。
根拠じゃない。演出だ。

価格が、すっと止まった。
板が薄くなった気がする。
次の瞬間、下へ落ちる。

最初の陰線は小さい。
「誤差」
そう名づけた。

次の陰線は少し大きい。
「押し目」
そう名づけた。

その次は、さらに深い。
名づける言葉が足りなくなって、祈りに変わった。

切るべきラインは決めてあった。
でも、決めてあったのは“昨日の自分”で、今ここにいるのは“勝ちたい自分”だった。

損切りボタンは近い。
押せる距離にあるのに、遠い。
遠い理由は一つだ。

押した瞬間に、物語が終わるから。

「まだ戻る」
「ここで切ったら、俺が間違ってたことになる」
「間違ってたと思いたくない」

錯覚卿の影は、濃くも薄くもならない。
ただ、こちらが言葉で自分を騙すたびに、少しだけ“輪郭”がはっきりする。

値は戻らない。
戻らないのに、目だけが戻る場所を探し続ける。

そして、ようやく押す。
損切り。

損は小さい。
けれど、胸の奥の痛みは大きい。
“負けた”からじゃない。
自分で自分を持ち上げて、自分で自分を落とした感覚が残るからだ。

錯覚卿は最後に、もう一言だけ落とす。

「勝てると思った瞬間、おまえは相場を見ていない。自分の願望を見ている」

解説

「勝てる気がする」は、根拠のふりをした感情です。
エントリー前に必要なのは、気分の上昇じゃなく、条件の確認。
そして損切りは、損を避ける行為じゃなく、錯覚を切る行為です。

今週の問い:あなたはいつ、勝てると錯覚しましたか? その“きっかけ”は何でしたか?

締め

勝てると錯覚した日を、記録に残す。次は、その瞬間に気づける。

→次話:第2話「正しい顔をした“希望”が来る」
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